みなさんは、自分の進路をどのように決めましたか?
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私は大学3年生の春休みに
求人広告会社から送られてきた企業の求人冊子や
大学の進路相談室(現キャリアセンター)にあった企業の求人情報をもとに
手あたり次第、合計100社以上の企業やOB・OGにコンタクトし、
1社あたり最低3回、多い場合には10回以上の面接を経て、
内定を取るみたいな就職活動をしていました。
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すでにお気づきかと思いますが、
ここには私のやりたいことに対する挑戦はなく、
ただ就職先を決めることが目的になってしまっていました。
誤解ないように申し上げますが、
私が選んだ道が間違いだったとは、
私は考えてもいませんし、後悔もしていません。
それなりに充実した職業人生を送れたのではないかと思い、
満足もしています。
一方で、
もしあの時に自分の夢を実現するための挑戦していたらと思うと、
今更ながら、一抹の寂しさを感じるのも事実です。
もちろん、挑戦したからと言って、
夢が叶ったとは限りません。
それでも、挑戦せずに別の道を選ぶのと、
挑戦した上で別の道を選ぶのでは、
納得感という点では、
雲泥の差があると感じています。
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私は、「人生は一度きり」だと常々思っています。
だからこそ、
人生のその瞬間、瞬間を精一杯全力で生きたいと思っています。
もちろん、すべての瞬間で全力を尽くすことは難しいかもしれません。
でも、人生の重大な選択の時ぐらい、
全力を尽くすべきだったのではなかったかと少し反省しています。
先ほど「企業の求人冊子」と申し上げました。
私が就職活動をしている頃は、
まだインターネットはありませんでしたので、
企業研究するためには、
・企業の求人冊子
・書店で購入する『会社四季報』や業界紹介をしている本
・親や先輩からの話
ぐらいの情報しかありませんでした。
今の学生さんたちに比べると、
当時の学生が持っていた情報は
とても少ないものでした。
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私の両親は、子供の頃は戦争でまともに勉強することもできず、
それでも父親は公務員になり、
日本の高度経済成長の中で
「まじめに働けば、会社(役所)は定年まで面倒を見てくれる」
という価値観の中で懸命に働き、私たち家族を養ってくれました。
母親は専業主婦でした。
ある意味、当時の日本の一般的な家庭の縮図のような家庭で
私は育ちました。
当時の人生観は、
「良い大学を出て、良い会社に勤めたら、定年まで安泰に暮らせる」
というものでした。
私の両親も例外ではありませんでした。
私は小さい頃から、両親に
「地元の国立大学を出て、公務員になる」ように求められました。
両親は、私の将来のことを心配して
そのように言ってくれていたのだと思いますが、
残念ながら、両親の人生観は少し時代遅れのものであった気がします。
また、私のやりたいことからは、大きくかけ離れていました。
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このように親が子のやりたいことを否定し、
自分の人生観を押し付けるという悲劇は、
私の家だけで起きた特別なものでなく、
探せばどこにでもある、ありふれたものだと思います。
しかしながら、本当にそれで良いのでしょうか?
親は「子供に苦労をさせなくない」という一心で、
自分の経験則から子供の進路に口出しする。
これは当然あって良いものです。
でも、無理強いするのはどうかと思います。
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親の思いと子供の夢は得てして一致しないものです。
親は実体験に基づいて積み上げられた人生観から
子供の進路について考え、アドバイスしているのですが、
子供がいつまで経っても自分の話を受け入れないと、
「子供に苦労をさせたくない」という気持ちが強く全面に出て、
自分の人生観を押し付けてしまうことがままあります。
でも、考えてみてください。
そもそも、人生観は、不変的なものではありません。
むしろ、時代とともに変わる必要があります。
実体験は過去の出来事ですから、
必ずしも現在、そして未来に通用するとは限らないのです。
一方で、子供は現在を生き、未来に向けて「夢」を描いています。
親が子供のことを心配してアドバイスしてあげることは素晴らしいことですが、
できれば、お子さんの話にも、もう少し耳を傾けてあげてください。
そして、自分の過去の経験則に基づく人生観だけでなく、
時代による環境変化も踏まえた上で、
どうしたら良いかをアドバイスしてあげてください。
お子さんの人生は、お子さんしか歩めません。
心配かもしれませんが、親が代わってあげることはできません。
ですから、お子さんが正しい判断ができるように、
自分の人生観ではなく、
価値観などで加工されていない、
より多くの情報を提供してあげてください。
そして、見守ってあげてください。
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「そんなことでは、子供が失敗するかもしれないじゃないか!」
とお叱りになる方もいらっしゃるでしょう。
確かにその通りです。
でも、それも含めて人生です。
そもそも全く失敗しないで、人生を全うする人なんていません。
人間は、多かれ少なかれ誰でも失敗をします。
作家の三浦綾子さんは、
「躓くのは、恥ずかしいことじゃない。
立ち上がないことが恥ずかしい」
と、おっしゃっています。
私たちは失敗という経験を未来に活かすことで
人生をより良いものにすることができるのです。
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近年、キャリア形成という言葉が注目されています。
厚生労働省でも、キャリア形成を積極的に支援すべく、
「キャリア形成サポートセンター」という仕組みをつくり、
国民のキャリア形成をサポートしています。
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私たちの人生には限りがあります。
「だから、有意義な人生を過ごしたい」
と、私は考えています。
では、有意義な人生とは何でしょう。
これは、たぶん個々人で考え方が違うと思います。
どれが正解で、どれが間違いなんてことはありませんから、
これ以上深く検証することは割愛したいと思いますが、
私は、
「死に際で、自分の人生を振り返った時に、
満足できる出来事が1つでも多くある」
と考えます。
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次に有意義な人生を過ごすためには何が必要でしょうか。
これも答えは人それぞれでしょうが、
私は、「夢」であると考えます。
私の考える夢とは、
将来到達したい「ありたい姿」
です。
そして、
夢を実現するために必要な経験が
キャリアです。
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私は、この世の中で命の次に大切なのは、時間であると考えます。
それは、今という瞬間は二度と戻ってはこないからです。
それゆえ、
「今を有意義に生きることに真剣に向き合うようにしたい」
と常日頃から考えています。
言い古された言葉でありますので、
・そんなこと、わかっているよ
とか、
・そんなのダサい
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
もちろん、これは私の人生観ですので、
これをみなさんに押し付けるつもりはありません。
みなさんが、
自分が生きたいように生きて、
それで人生最後の日に、満足な人生だったと思えるのであれば、
それはそれで良いと思います。
あるいは、
日々気ままに過ごせれば満足だとおっしゃる方は
それもそれで良いと思います。
なぜなら、これは人それぞれの人生観の問題だからです。
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ただ、私のブログをご覧のみなさんは、
少しでも充実した人生を送りたいとお考えなのではないでしょうか。
もしそうであるならば、
まずは「夢」を描いてみてください。
何でも結構です。
「夢」は育むものですので、途中で変わっても構いません。
自分の好きなこと、あるいは自分がこうしたいと考える「夢」を
できるだけ具体的に思い描いてみてください。
次に、その夢と現在の自分とのギャップを確認しましょう。
これも、できるだけ具体的に何が不足しているのかを
書き出してみることをお勧めします。
そして、そのギャップを克服するために
必要なアクションプランを作成し、実行します。
これがキャリア形成です。

初めは「夢」が鮮明に描けなかったりするでしょう。
でも、キャリア形成をしていくうちに、
だんだん自分の「夢」が何なのかがはっきりとするようになってくるはずです。
また、キャリア形成をしている途中で、
「夢」が段々変わっていくということもあるかもしれませんが、
気にする必要はありません。
それは当初は気づいていなかったものが気づいたことに他なりません。

このように、
「夢」は、
キャリア形成を通じて
徐々に育てていくものです。
そして、
この「夢」を実現するための通り道が「進路」です。

ですから、
「進路」を考えるためには、
まず「将来何をしたいのか」、「将来どうなりたいのか」という
「夢」を描く必要があります。

私が好きな『Rookies (森田まさのり、集英社)』に出てくる名言で
「夢にときめけ、明日にきらめけ」
という言葉があります。
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私もまだまだ夢にたどり着いていませんので、
夢にときめきながら、夢を追い求めることで、
毎日きらめきながら、人生を楽しんでいきたいと思います。
みなさんの人生も、夢にときめくことで、
キラキラ輝く人生が送れるように取り組んでみませんか?
太海
