みなさんは、原田隆史さんをご存じですか?
原田さんは、かつて大阪の中学校の教諭で、
荒れた学校を立て直すとともに、
子供たちに中学入学と同時に陸上を指導し、
7年間で13人を日本一に導いたカリスマ教師です。
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その中学校は、かねてより校内暴力が頻発していたため、
その学区の小学校に通う子で、
・少しでも勉強ができる
・少しでも運動ができる
・少しでも音楽ができる
など、なんでもいいから平均以上の能力を持った子は、
その中学校に通いたくがないために
私立の中学校に進学していたそうです。
そのため、
その中学校に来る子供たちは、
勉強も運動も音楽も人並み以下の
俗に言う「何の取柄もない、才能のない子」たちでした。
原田先生は、
その子供たちに中学校から陸上競技を指導し、
3年間で日本一に導いたのです。
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先ほど「才能のない子」と申し上げましたが、
そもそもこの表現が間違っています。
だって、日本一の栄冠に輝く子は
「才能のない子」ではないからです。
・成長速度が他の子より遅かった
からなのか、あるいは
・何に適性があるのかわからなかった
のかは、わかりませんが、
小学校の時にはその子の才能の在りかがわからなかったに過ぎません。
よく「あの子は天才だ」とか、
「私には才能がない」などとおっしゃる方がいらっしゃいますが、
これも私は間違いだと考えています。
そもそも才能とは何でしょうか?
もし才能というものがあるのではあれば、
それはどのようなもので、どのように備わるのでしょうか?
たとえば、両親共にオリンピック選手だったとしても、
そのお子さんは運動音痴だったり、
お兄ちゃんは運動神経抜群だけど、弟はまったくダメだったりします。
その逆で、先祖代々勉強が苦手だったけど、
子供は幼いころから神童と呼ばれ、東大に入ったりします。
これはどう説明されますか?
「才能という言葉は、敗者の戯言にすぎない」と、
誰かがおっしゃっていました。
私もまったくその通りだと思います。
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私は、若い頃の友人に恵まれていたと思います。
私が中学校の時に、3年間成績が学年トップの友人Y君がいました。
彼は友達づきあいもよく、誰とも気さくに話すことのできる人でした。
放課後は、陸上部で夜遅くまで真剣に練習に取り組んでいました。
1年生から生徒会に入り、2年生では生徒会長も務めていました。
にもかかわらず、彼の通知表は、9科目の5段階評価で合計44点。
1科目(たしか音楽だったと思います)を除き、オール5でした。
いったい、いつ彼が勉強しているのかは、わかりませんでした。
そのため、いつしか「Y君は天才だ」と皆がささやくようになりました。
3年生の夏休みにある予備校の夏季講習に一緒に通いました。
その時、予備校が主催する模試を受けました。
何日か経って、模試の答案と冊子が返ってきました。
冊子には模試の成績が全国で上位100人の受験者の名前と学校が
成績順で紹介されていましたが、
彼はなんと5番でした。
「全国で5番」、横に座っている同級生が
そんなすごい奴なのかと驚きを隠せませんでした。
冊子で紹介されている成績優秀者の通う学校は
誰もが知る全国の進学校ばかりでした。
名もない普通の公立中学校は、Y君だけです。
思わず、「お前、全国5番なの?」とY君に話しかけると、
「うん」といつもと変わりのない気のない返事。
憎らしいのと、安心したのと、複雑な気持ちになり、
「こいつ」とツッコミました。
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彼は大学受験の時も同じ予備校に通いました。
大学受験の時には高校受験の時よりも格段に受験者が増えています。
それでも彼は全国23番でした。
そして、彼は晴れて東京大学に合格して進学しました。
ここまでお話すると、
彼はやはり天才なんじゃないかとお考えになるのではないでしょうか。
でも違うんです。
私の母と彼の母は結構仲が良く、
私の知らない日常に関する情報も彼の母から伝わってきましたが、
彼は私たちのいないところで必死に勉強していたそうです。
私たちの前では私たちと同じことをしていて、
さも勉強には興味がないような素振りをしていたのですが、
いざ私たちがいなくなると、努力を惜しまなかったのです。
これは私たちを騙そうということではなく、
努力している姿を見られるのが恥ずかしかったからだと思います。
いずれにせよ、彼の成績は
才能なんかではなく、努力の賜物であることを痛感しました。
もちろん、限られた時間の中で、
部活動も、生徒会も、勉強もすべてこなすというのは
努力だけでなく、要領も必要だったと思います。
彼のおかげで、私は、
自分の努力不足を才能という言葉でごまかすことをしなくなりました。
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もう一つご紹介したいエピソードがございます。
それは私が小学校5年生の夏休みのことでした。
ある日母親が「明日野球部の応援に行きなさい」と言いました。
「えっ?。やだよ。だって俺、サッカー部だぜ」と答えたら、
「野球部が市大会の決勝戦に進出したから、
全校あげて応援に行くように要請があった」と言うのです。
私の小学校では、4年生の10月から部活動に入ることができました。
もちろん、強制ではありません。
私はサッカー部に入りましたが、
友達の多くは野球部に入りました。
その彼らが市大会の決勝に出るなんて信じられない気持ちでした。
というのも、
部に入る前は、よく彼らと一緒に草野球をやっていたからです。
別段特に野球が上手だとか、
自分と比べて才能があるとは思いませんでした。
そんな彼らが市大会の決勝戦で戦うのです。
当時私の住んでいた市の小学校は250校以上あったと思います。
その中のトップ2校の戦いに彼らが出るのです。
唯一、私と違うのは、
この1年間、厳しい練習に取り組んできたことです。
翌日私は決勝戦が開かれる球場に行きました。
スタンドから彼らの雄姿を見た時に、
何とも言えない感情が湧いてきました。
そして、彼らは優勝しました。
彼らは県大会に進み、
県大会では準優勝という立派な成績を収めました。
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エースピッチャーのO君は私のクラスメイトで、
後ろの席に座っていました。
「お前、県大会準優勝ピッチャーなの?」と訊いたら、
彼はいつもと変わらない笑顔で
「おう」と答えました。
その爽やかな笑顔に、誇らしさと安心した気持ちになり、
「おめでとう。でも生意気だな」といって軽く肩を叩き、
笑いながら、健闘を称えたことは今でも忘れられません。
O君もY君と同じだと思います。
夢をあきらめず、努力をし続けたのです。
だから、夢を実現できたのです。
私は、彼らから、
・どんなにしんどくても、夢をあきらめないこと
・努力を継続すること
の大切さを学びました。
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原田先生の話に戻りますが、
彼は教え子に目標達成シートを毎日手書きで書かせていたそうです。
目標達成シートには、
・3年後のありたい姿(=夢)
・今の自分
・そのギャップ
・ギャップを埋めるためにやるべきこと
・そのロードマップ
をA3のシートに書くのだそうです。
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初めのうちは、現状認識が甘かったり、
やるべきことが不十分だったりして、
目標未達になることもしばしばあるそうですが、
毎日書くことでそれらを徐々に修正して、
3年後には当初の目標である日本一を達成するに至るのだそうです。
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アメリカの心理学者であるジョゼフ・マーフィーは
「人は思った通りの人間になる」と言っています。
これは私の座右の銘でもありますが、
本当にその通りだと思います。
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毎年甲子園で高校野球が春と夏の2回行われていますが、
甲子園で優勝したいと本気で思い、
その努力を積み重ねたチーム以外優勝することはありません。
「地方大会で勝てたらいいな」程度では、
地方大会で1勝もできないでしょう。
勝てたとしても、1勝ぐらいです。
甲子園に出るのが目標であれば、
地方大会は優勝できるかもしれませんが、
甲子園で勝ち進むのは難しいと言わざるを得ません。
甲子園で優勝するためには、
それに必要なことを洗い出し、
着実にそれを実行する必要があります。
だから、
「天才なんて基本的にこの世の中にはいない。
結果を残すのは、やるべきことをやった者だけだ」と、
私は考えます。
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私が好きなプロ野球選手は、
かつてロッテの大エースとして活躍された
村田兆治さんです。
彼は、投手生命を脅かす3度の肘の故障を手術で乗り越え、
通算215勝をあげています。
かつて財政破綻した夕張市が
「子供たちに夢をもってもらいたい」という趣旨で
村田兆治さんを招いたことがあります。
子供たちと対戦をする前日に
村田兆治さんは、夕張市に入り、
その夜、夕張市は村田さんの歓迎会を開催したそうです。
しかし、乾杯をして間もなく、彼はそこを退席してしまいました。
部屋に戻り、現役時代から続けるルーティンの練習をしていたのです。
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村田兆治さんは、プロ野球を引退した
元スーパースターが集うマスターズリーグでも
剛速球と伝家の宝刀のフォークボールを披露することで有名ですが、
彼が60歳の時でも140Kmを超える速球で三振をとっていました。
村田さんは、ヒーローインタビューで
「140Kmの玉が投げられなくなったら、マスターズリーグを引退する」
とコメントされていたのが、とても印象的でした。
マスターズリーグでは、かつての面影もなく、
珍プレーを続出するかつてのヒーロー達が多くいる中で、
「お金を払って見に来てくれているファンの人に
それに見合うプレーをお見せできなければ、出る価値はない」
という村田さんのプロ根性には感心せざるを得ませんでした。
そして、それを支えているのが
紛れもない現役時代から続けているトレーニングだと私は考えます。
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これらの例からも、
私は、「夢を叶えるのは、才能ではなく、努力である」と考えます。
もちろん、人には得意-不得意、向き-不向きがあります。
そのため、得意なものや、向いているものに取り組めば、
他人よりも成果がでるのは早いかもしれません。
逆に不得意なものや、不向きなものに取り組めば、
努力がなかなか報われないかもしれません。
ただ、やるべきことをやらないで、
期待する成果が出ることなどあり得ません。
才能なんて言い訳を言う隙があったら、
少しでもやるべきことをやって、
夢に近づいた方が良いのではないでしょうか。
かく言う私も、未だに夢にたどり着くことができていません。
それでも夢を諦めずに、今できることを精一杯取り組んでいます。
「人は、思った通りの人間になる」、
私はいつか夢が叶えられると信じています。
太海
